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人気シリーズ 「ONE PIECE FILM Z」 [映画]

 「ONE PIECE FILM Z」

古代兵器に匹敵するダイナ岩が、ある男に奪われた。ネオ・海軍を名乗る男、元海軍大将「ゼット」。彼はダイナ岩を奪い、新世界を滅亡することにより、「ONE PIECE」を破壊し、大海賊時代を終わらせようとしていた。主人公ルフィは麦わら帽子を奪われ、それを奪回するためにも、海賊王になるためにも「ゼット」に挑む。


人気シリーズ 「ONE PIECE」の劇場版。原作者 尾田栄一郎氏が監修。そして人気脚本家 鈴木おさむ氏が参加。
まだ多くの活躍と謎を残したままの、未完の人気漫画「ONE PIECE」。
少年ジャンプに連載中の原作は「新世界」という新しいステージに登場人物たちが冒険の歩をはじめたばかり、それとは違った、「冒険」を何時間かの間にファンは観ることができる、というわけで、期待は高まるばかりです。シリーズ化されている映画という意味でも、現在進行形のマンガの番外編という意味でも、原作者やスタッフが、ファンが期待するもの、見せたいもの、忘れてはいけないもの。丁寧にとりくんでる感じがしました。
知らない人には、なんのこっちゃ、だとおもいますが


以下雑感。

絵がきれいということ、コスチュームのバリエーションの多さはみていて楽しい。敵方の威圧的な強さ。中立を装う元大将クザンの存在感の中で、やはりルフィたちのおちゃらけムードとの対比、戦闘シーン。キャラクター一人一人に見せ場があり、お約束ありで、短い時間帯におさめていくので、なかなか忙しいなあ、とおもいながらみておりました。戦闘シーンは正直、何が起こっているのかよくわからなかったです。

「モドモドの実」で小さくなった、ナミとチョッパーはかわいいんだけど、なくてもよかったのではないか?ともおもってしまいました。映画的に、「映画館でみてみたい」というのはあるとおもいますが。(実際かわいい)そのあたりも、映画館に来てね。という作り手の仕掛けとして、上手だなあ。と。とはいえ
話としては麦わら帽子を奪われた。それだけで、ルフィには敵にむかっていく動機があるなあともみてました

最後は主人公の主人公たる意思の強さでまとめており、かわいいキャラクターもみれて、戦闘のかっこいいところはみれて、ルフィの意思のかっこいいとこみれて、敵方も潔さもみれて、ちょっと酔えるようなとこもあって、お客さんのために、これでもか~とぶちこんでは削り、ぶちこんでは削りということをプロがやってるなあ。と気持ちのいい作品ではありました。

おまけに千巻”Z”というのをもらいました。

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おくればせながら、「ナルニア国ものがたり」 ライオンと魔女 [映画]

ドイツ軍の空爆が激化する第二次大戦下のイギリス。ペベンシー家の4人の兄妹──ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーは、ロンドンの空襲を逃れるため、田舎に住むカーク教授に預けられる。古く広大な教授の屋敷でかくれんぼをしているうちに、ルーシーは空き部屋で大きな古い衣装だんすを見つける。中に入るとそこは、雪に覆われた森の中。ルーシーはそこで半神半獣のフォーンと出会う。そこは、ナルニア──言葉を話す不思議な生き物たちが暮らす魔法の国。かつて偉大なる王アスランが作ったこの国は、美しく冷酷な“白い魔女”によって、100年もの間、春の訪れない冬の世界に閉ざされていた。

よくできてるなああ。とは思ったのです。が、正直ファンタジーの住民を動かすのが一生懸命だなあ。と。
こどもとはいえ、主人公たちの、こころの葛藤があって、成長が導かれる。宗教の思想の上にたちながら、冒険をもりこみエンターテイメント仕上げている原作に比し、道徳のビデオみたいに教訓じみていて、「こども向け」だなあ。と思う。道徳のビデオ、というのは、ドラマチックではない、ということ。おきまりの感動にみえる、ということ。つまり、葛藤の部分が曖昧であるように感じた。ピーターがなかなか剣をふるわないのはなぜか、ということ。たぶん冒頭の空襲シーンであるとか、戦争であるとか、何かを盛り込もうとしているのだろうが、わからないままだ。
アスランも小説には想像する楽しさがあってよかったのですが、「しゃべるライオン」で、表情がとにかくありすぎるのが気になった。厳かさとか威厳ではなくしょぼしょぼとして、大きな動物にみえなかったのが残念。
7作あるのですが、どうもたせるのだろうか。と思う。客を7本みさせるほどなのか。子役が脇役顔にみえて、所作等を含めて、もうすこしきれいに、かわいくとってあげたらいいのに、と思う。


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吹き替えなしのステージ 「ウォーク・ザ・ライン」 [映画]

実在した1950年代のカリスマスター、ジョニー・キャッシュの生涯。 1950年代、アメリカ。ジョニー(ホアキン・フェニックス)はレコード会社で飛び込みでオーディションを受ける。最初歌ったゴスペルは不合格。窮地におちいって、歌った自分の曲が合格する。妻子を残し全米ツアーに出た彼は、憧れのカントリー歌手、ジュ-ン・カーター(リース・ウィザースプーン)と出会う……。
今作品で、リース・ウィザースプーンはアカデミー賞を受賞。

優秀で優しかった兄の死。売れないセールスマン時代。捨てきれない音楽の夢。成功。ツアーの消耗、家族との溝。ジューンとの運命的な出会い。ドラッグ、逮捕。家族との決定的な亀裂。
吹き替えなしという、ステージの数々は見所。
ジューン・カーター役のリース・ウィザースプーンは、初めてスクリーンで観た。コメディをこなすだけあって、音感・リズムといろんな意味で俳優としてセンスのいい人だなあと思った。コメディこなすひとは、軽くみられるけれど、その間合いと音感というのは、簡単に身につくものじゃないだけにすごい。この役のいいところはステージ上の華やかさと恋多き女に見える部分と、実際は不器用で誠実であろうとする一人の女であること。こう書くとありきたりだが、涙に弱い女ではなく情に厚く、強情ではなく、凛とした女の姿が、同性からみても魅力的であった。

この作品の場合、ジョニーもジューンも波乱に満ちた挫折と栄光の人生を「それぞれ」送っている。だから、途中で「どっちが主役なんだろう」とわからなくなった。どちらにもステージがあり、どちらも家庭がある。合流するときもあれば、違うときもある。
ふたりの間のまんなかにカメラがある。ドキュメンタリーのように見え、映画が長く感じた。刑務所のシーンで始まり、ラストはそこに戻るので、ジョニーの少年時代に死んでしまった兄とのことが、歌い続けてきた意味、存在価値、人生であったと感じた。が、観る側からすると、AくんとBちゃんが、ひっつきそうでひっつかないという実録をみているようで、「映画」を観ている感覚が薄くなったのは残念だった。
ホアキン・フェニックスは、ステージシーン、クスリ漬けの日々、更正した後の所作、目のうつろいなどで、好演しているのだが、映画として用意されているほど「カリスマ」な色気は感じず、才能あるけど地味な人にみえたのが残念だった。

エンドロールで流れるのは、おそらくホンモノのジョニーとジューンだと思いますが。ジューンの声が、美声ではなく、生きてきた女の声で、印象深かった。

監督/ジェームズ・マンゴールド 脚本/ギル・デニス 、ジェームズ・マンゴールド 出演/ホアキン・フェニックス 、リース・ウィザースプーン 2005年 アメリカ 136分


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おっと映画化だったのだ 「ルート225」 藤野千夜 新潮文庫 [映画]

14才のエリ子は1つ年下の弟ダイゴを迎えに行った帰り、パラレルワールドに迷い込んでしまう。そこは、死んでしまったクマノイさんが生きている世界。巨人の高橋由伸が微妙に太っている世界。そして、何よりも両親がいない世界。もとの世界と繋がるのは、高橋由伸のテレホンカードだけ。とりあえず、微妙に違う学校に通いつつも、元の世界に帰ろうと考えるが・・・。

YAという分野があるようです。ヤングアダルト。子ども以上大人未満という意味でしょうか。商売では枠組みを必要なのか。感性ではあまり意味がないように思うが。
藤野千夜さんはツッコミのひとだとやはり思う。自分勝手で、残酷で、思い込み激しく、本質を得て、寂しい。この本は主人公エリ子の一人称で展開されるのだが、情景描写ひとつにも、かっこつき()で、ツッコミが入る。機関銃のようにだされる言葉の中には、マイペースで思慮のないようで、実は社会または、他人の目というのにさらされていることを意識させられもする。敏感である。「ていうか」が多発されるが、繰り出されるごとに、辛らつにときに本質に近づかねばならない。でも、ダラダラとした印象を与えないのはこの人の持ち味だ。
活躍中のプロ野球選手が微妙に太っているというパラレルワールドは傑作で(でも、本人は主人公たちに関わらないが)「あ、これは映像にできるな」と、読み進みながら、構成していた。ら、あっけなく文庫本に「映画化」の帯がついていた。どう構成するかは、楽しみでもある。

パラレルワールドに迷い込む、というある種のファンタジー。「あるかもしれない世界」「成り立つ世界」でありながら「両親はいない」という大いなる謎がある。このふたつがひとつの理論で、繋がっていたら、もっと面白かったかもしれない。もしこれがファンタジーならば、ここが作家の腕のみせどころだったと思う。が、それはあまり狙ってないようである。「死」をとらえたパラレルなものとして考えたら面白くもあり、「想い」という意味で構成するのもあるが、二つ(もしくはそれ以上)の世界がありながら、家族は一つで、それが離れてしまったことが、キーワードであるように感じる。

映画ではどのように手を加えているのか、楽しみ。
(読まないで観たほうがよかったようにも思いつつ)


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あぶりでる感情 「力道山」 [映画]

日本の国民的英雄だった伝説的なプロレスラー、力道山の半生。
貧困生活を脱出するため祖国を離れ、力士になるため単身日本へやってきた力道山(ソル・ギョング)。差別の中、昇進を重ねるが、日本人でなければ横綱になれないという現実をつきつけらる。プロレスの世界があることを知った力道山は、単身アメリカへと旅立つ。帰国後、プロレスの普及により、戦後復興の日本を活気付けていくのだが・・・。

今年観た映画の№1です。やられた。と思った。日本を舞台にして、外国の監督が映画を見事に撮ってまった。今の邦画はお金云々ではなく、撮る側の力として、負けてるんちゃうか、とおもった。そんなはずはない、と思いたいが。
画面が日本の監督が撮るとはまた違う、“日本”の色なのだが、日本をよく知ってるなあ。勉強している。と感じた。そして、ひとつの画面に、温と恩、怨。いろんな温度、複雑な感情、愛憎という二文字では書ききれないものをあぶりだす。主役、脇役に限らず、せりふがないシーンのほうが多弁であった。音楽にも頼らない。ひとの厚みがあった。目が離せない。
日本人の朝鮮人への差別も、当時は壮絶であったのではないか、と想像するも、陰惨にならない表現に留めていた。昨今の陰惨な表現を競う傾向から考えると、その方向に流れていかず「ここまで」と映像が留まることに、抑圧と噴出されたはずの想いを感じる。
力道山役のソル・ギョングには、大きく強いからだをもつ男の哀しさがあった。妻・綾役の中谷美紀も、言葉は少ないのにもかかわらず、細いからだで大きな男より大きな女を演じ、好感をもった。後見役・菅野の藤竜也の笑顔は子気味よく、したたかで情と色気があった。

監督・脚本 ソン・ヘソン (2004年) 韓国/日本 149分


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ひとの関係性の願望と恐怖 「愛と死の間に」 [映画]

私立探偵のマイク(ケネス・ブラナー)はある日、一人の記憶喪失の女(エマ・トンプソン)の面倒を見ることになる。催眠術により彼女の失われた記憶を引き出すと、なぜか40年前のピアニスト殺人事件がうかびあがる。犯人は夫とされた。そして彼が最後に残した言葉。そして、いつしか互いに惹かれ合うようになる二人。前世で両者の間に繰り広げられたこととは何なのか……。ケネス・ブラナーが監督・主演を手がける輪廻転生を題材に描いたサスペンス・ミステリー。

(ネタばらしアリ)

見終わったあとで、あらすじを書くと、実に簡単でなあんだ、と思わせる。見事に展開させているとおもう。トリックはなく、誰が誰なのか? 輪廻をからめて想像させてくれる楽しみがあった。記憶をなくした女性。今の記憶はないのに、40年前の記憶はある。彼女は誰なのか?
40年前の事件の犯人はほんとうは誰か、そして、現代も彼女は誰であり誰だったのか さらに主人公は誰なのか? 二重のミステリーが観客をひっぱる。

ミステリー上で輪廻をからめたことは、諸刃の刀。とおもった。
誰が誰かわからないということは、想像をかきたたせられ、観ていて楽しい。が、謎解きの仕掛けは輪廻という、結構トリックではないトリックを用いている。前世の記憶で、現世に身の危険がせまる、というミステリーが成立しちまうのならば、先の大戦で虐殺するまわった人間は、輪廻するたびに虐殺されたひとに命を狙われることになる。そんなハナシの連続になる。自分でない自分に操られて、ある特定の人物に恐怖を抱いたり、殺意を抱くことは恐怖である。しかし、輪廻の考え方って、復讐であれ再現であれ、やりなおしの劇ではないはずである。
そんな単純なものだ、と、この作品では言っていないけれど、そのやりなおし劇の「単純さ」に頼って、サスペンスが展開しているのが一番の不満。現に、彼ら彼女らが輪廻してしまったことのを、周囲から誘導されて行き着き、それを信じたことにある。主人公自らもとりこまれている。しかし、ファンタジーにも見えるが、自分自身の存在や、ひととひととの永遠の関係性の願望や恐怖も感じさせるのが、この映画の面白いところだとおもう。
前半、かなりのひっぱりをもっているだけに、40年前の殺人事件の真相と、前世の呪縛を自ら切ることがいっしょくたになっていることが、やりなおし劇に見えてしまう。せっかくのサスペンスの風味が薄れた感がした。

監督・ケネス・ブラナー 脚本・スコット・フランク 音楽・パトリック・ドイル 出演・ケネス・ブラナー 、エマ・トンプソン 、アンディ・ガルシア 、デレク・ジャコビ 、ハンナ・シグラ 1991年 アメリカ 108分


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ディケンズとボランスキーの対話 「オリバー・ツイスト」 [映画]

19世紀の英国。救貧院に連れて来られた、オリバー・ツイスト(バーニー・クラーク)は、粗末な食事に腹をすかせた孤児を代表してお粥のおかわりを要求し、追放処分になる。一旦は葬儀屋に奉公するが、不当な仕打ちに耐え切れず逃げ出し、目の前に延びる街道を遥かロンドンまで目指すオリバー。7日間歩き通して、大都会に辿り着いたオリバーは、スリの少年に拾われ、とフェイギン(ベン・キングズレー)という男に引き合わされる。

チャールズ・ディケンズの同名小説を、ロマン・ボランスキーが映画化。
身寄りのない孤児のオリバーと、少年少女を集めて窃盗を繰り返すフェイギン。この原作、読んでないのですが、映像をみると、ああ、ディケンズ・ワールドとおもうくらい、子憎たらしい風刺が映像に、はいっている。この描写を小説では、なんと書き記しているだろうという、わくわく感があった。こどもに対してはかなり、ひどい話なのだが、ディケンズの、気がつかないことの鈍感さが悲しく生かされて、コメディにみえた。ボランスキーとディケンズの対話みたいだ。

救貧院のオトナたちは、オリバーを追い出し、窃盗団の老人は彼に靴と食べ物と寝る場所を与える。法の下の善と悪。偽善と善。これが個性的なキャラクターのもとで、ひっくりかえる。善なる行為が職業になっちまうと、偽善にみえる。悪事を働いても、食べ物と寝る場所を与えることは生きるもの存在の肯定であり、行為に嘘はない。コトバでなく、行動である。しかし、オリバーの感謝の言葉は、行為に対して素直である。なににとってホントウか。

逃げ出しても逃げ出しても連れ戻される。罪を重ねることより、罰を恐れるオトナたち。ひょいと担がれて連れ去れるこどもの小さく軽い存在。オリバーとフェイギンの線がどの程度重要だったかは、実は終映後にロビーに流れていた予告版であって、ちょっと本編ではわかりにくかったなあ。とおもう。ひとを救うというけれど、罪から救うのか、環境から救い出すのか、命を救うのか、19世紀のロンドンに舞台を設定し、寓話的にみせ、でも寓話でみせることでこの手のテーマを扱ったのだろうか、とか、いろいろ考えました。

監督:ロマン・ボランスキー 原作チャールズ・ディケンズ 脚本:ロナルド・ハーウッド 2005年 129分 制作国:イギリス/チェコ/フランス/イタリア 出演:バーニー・クラーク、ベン・キングズレー 、ハリー・イーデン 、ジェイミー・フォアマン 、エドワード・ハードウィック 


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戦争への危惧 「ミュンヘン」 [映画]

 1972年9月5日未明、ミュンヘン・オリンピック開催中、選手村を武装したパレスチナのテロリスト集団“黒い九月”が襲う。イスラエル選手団の11名全員が最終的に犠牲となる悲劇が起きた。これを受けてイスラエル政府は犠牲者数と同じ11名のパレスチナ幹部の暗殺を決定し、諜報機関“モサド”により精鋭5人が暗殺チームとして集められた。チームのリーダーに抜擢されたアヴナー(エリック・バナ)は妻と生まれてくる家族のため、車輌のスペシャリスト、スティーヴ(ダニエル・クレイグ)、後処理専門のカール(キアラン・ハインズ)、爆弾製造のロバート(マチュー・カソヴィッツ)、文書偽造を務めるハンス(ハンス・ジシュラー)の4人の仲間と共に、ヨーロッパ中に点在するターゲットを暗殺する任務に就く。

トリノ五輪開催中に観ようとおもった。
平和の祭典の中で起こった惨事。その報復。国家、民族、国、ナショナリズム。観ながら、海の上にぽっかりうかんだ日本列島を思った。なんども思った。日本に住むのは日本の民族ほとんどで、それは世界地図からみるとほんの小さな島国。しかし、世界はもっと大きく、国境というあいまいなもので、仕切られ概念も考え方も違うのに陸続きで、違う民族がとなりあわせである。島に住むわたしが、だから、かんたんに「わかる」ことはできない。
主人公がリストに載っている者たちの罪の証拠はあるのか。と尋ねる場面がある。あるなら、なぜ、アイヒマンのように裁判にしないのだ、と。だが、世界に盛大に、彼らの死を知らしめるために命を奪うのが目的。
自身が観たことも遭ったこともない惨劇悲劇が語り継がれ、報復が受け継がれる。自身の憎しみでない憎しみが体感したかのように引き継がれる。国のためとした任務だが、自分の家族のためでもある。が、そのために自分と家族の安全を脅かされることに恐怖する。

先日みた野田秀樹の「罪と罰」をみてもそうだが、スピルバーグが戦争に向かいつつある世界を映画という手段で示唆しているように感じた。終らない悲劇。語り継がれる悲劇、引き継がれる報復、自国を守るために他国を売る。暗殺の成否のスリリングさのバックに物語をしのばせ、その根底には、戦争のもとになる、国とは何か。国土、民族、家族・・・・。とは、投げかけているように感じた。なかなか、日本にいて、島国で、日本人ばかりと接していると、感覚としてつかみにくいことだけに、考えてしまった。

ターゲットの捜索、暗殺という報復の成否に関する映画のスリリングさは表面にただよいながら、それだけとしてこの映画をみると長い。主人公が悪夢としてうなされるミュンヘンの事件、キッチンでの調理のシーンなどで、起こった事件と自分の目の前で行っていること、真実とその裏にある作為などの構造は面白いなと想いつつ、声だかに平和や正義をせりふにこめない分、わかりにくいと思う。だが、せりふにこめるオーソドックスなつくりにすると、つまんなくなり、そのへんのバランスが難しいものだな。と思う。最後に主人公の食事を誘うやりとりは、この映画世界の象徴として面白い、とわたしは感じた。
戦争ものは苦手である。が、いまある平和を維持するために、表面下の戦争を描いていかねばならぬ今の表現世界が、こわくある。

監督・製作 スティーヴン・スピルバーグ 脚本:トニー・クシュナー  原作:ジョージ・ジョナス『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』(新潮文庫刊)アスミック・エース アメリカ 164分 


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パンとチューリップ 「ベニスで恋して」 [映画]

ペスカーラに暮らす“平凡な主婦”ロザルバ(リーチャ・マリエッタ)。ところが、ある日家族旅行の先でサービスエリアに置き去りに。帰宅するつもりで乗り継いだヒッチハイクだったが、ひょんなきっかけで昔からの憧れの街ウェネチアに降り立つ。ほんの“休暇”のつもりだったが、レストランで働くフェルナンド(ブルーノガンツ)のアパートに世話になり、そのまま住み込むことに。祖父仕込みの園芸とアコーディオンの腕は、彼女に職と彩りをもたらし、友人もできる。そんなロザルバと暮らすうち、フェルナンドは彼女との生活が、日常となってしまい、しかし、夫は配管工の“私立探偵”を送り込んで元の生活に連れ戻そうとするが・・・。

2000年のイタリア・アカデミー賞で作品、監督、主演、助演を含む9部門を独占したロマンチック・コメディ。一言でいうなれば、中年の恋。ユーモアの中にも哀しさがあり、年を重ねていくゆえの背負うもの、喪ったもの、望むものがとりいれられている。倦怠期の中年主婦と自殺願望ある男性の恋なんて、考えただけでも暗く憂鬱な、創り手の独りよがりな作為に満ちたものになりそうなのに、そうみせない。画面や挿入音楽ではなく、登場人物の生き方の中に花と音楽とくみこみかたが素敵でした。はじめは色も恋もなく、感謝だけ。静かに相手を知り、相手を必要とする。若い男女にあるような激しい愛情表現はなく、年を重ねないと見えない相手への洞察や思いやりが交錯していて、感情のまま思い切れない深さがある。
冒頭で、サービスエリアに置き去りにされる扱いを受ける“主婦”。部屋が散らかっていると怒鳴りこそすれ、あなたが必要といわない夫婦の仲。それでも、女は家族の幻をみる。自分の役目と義務。愛情、築き上げたもの。負い目にとらわれる。
今はなき祖父に仕込まれた園芸の技術とアコーディオンの腕は、ロザルバに職を与えただけでない。まだ、そんな“未来”を予想だにしない、祖父に愛されて育った少女の夢や可能性を彷彿させる。夫に家政婦扱いされる今と対比して、人を必要とする、そして愛されることの香りのする、すばらしい描写で、観客の想像を利用してうまいなあ、とおもった。
ロマンチックコメディとうつだけあって、ラストはハッピーエンドが用意されているのですが、「愛しているから」という短いせりふがこんなに、明瞭に映画自身をあらわしているのはすてきやとおもいました。
原題は「Pane e Tulipani」パンとチューリップ。「肉体と同様に魂も飢えによって滅びる。
パンをよこせ!そしてバラの花も!」というアメリカの労働者のストライキのスローガンをチューリップにアレンジしたもの。邦題はわかりやすいけど、数ある「ベニス」を含むタイトルに埋没してしまいそう。フェルナンドがロザルバを想うシーンに滑稽に悲しく見事にチューリップが使われているので、原題のほうがよかったような気がします。

製作: ダニエレ・マッジョーニ 監督: シルヴィオ・ソルディーニ 原案: ドリアーナ・レオンデフ 脚本: シルヴィオ・ソルディーニ 音楽: ジョヴァンニ・ヴェノスタ 出演: リーチャ・マリエッタ/ブルーノ・ガンツ/ジュゼッペ・バッティストン/マリーナ・マッシローニ/アントニオ・カターニア/フェリーチェ・アンドレアージ/ヴィタルバ・アンドレア/タティアーナ・レポレ
リーチ


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三谷ファミリー 「THE 有頂天ホテル」 [映画]

高級ホテル“ホテルアバンティ”の大晦日の一幕。
夢やぶれた元演劇人の副支配人(役所広司)、お祭り好きの総支配人(伊藤四朗) 政界を追われる議員(佐藤浩市)、議員の元愛人の客室係(松たか子) ミュージシャン目指していたベルボーイ(香取慎吾) 呼ばれもしないコールガール(篠原涼子) パーティの歌手(YOU)や芸人(寺島進)。一癖二癖ある客と従業員がこのホテルに入り乱れる。おまけに一年の総締めくくり、「マン・オブ・ザ・イヤー」の授賞式から、カウントダウンパーティまで・・・。目白押しのイベントの中、トラブルがトラブルを呼び、さらなる一波乱起きる気配あり。彼らは、無事新年は訪れるのか?“

小心者で、そのくせ各自どこか自分勝手なオトナな登場人物。各自がもった人生やドラマ性というより、身ぶりやせりふまわしのキャラクターでみせる三谷幸喜。いかにも!というお遊びがふんだんに盛り込まれている。三谷組、三谷ファミリー集大成というべきキャスティング。これだけ、主役級を1本に集めることができる、というのはすごいことで、そして、各自与えられた「役割」を面白くすべく奮闘、期待にこたえる俳優陣というかんじです。
ですから、三谷ファンは「待ってました」の一本ではないでしょうか。
ほんまに、これでもか、これでもか、と主役級が顔をだす。三谷版「グランド・ホテル」

ただ、ホテルアバンティというホテルがどんなホテルなのか、わからない。ロビーの内装は豪華だけど、マスコミがつめかける玄関はせせこましい。業者がロビーにいたり、芸人が廊下にあふれていると、いくらなんでも、高級ホテルにありえないからおかしい面白い。というよりも、もともとそういうランクのホテルにみえる。そういうランクのホテルにみえるから、少々舞台裏がはみでていても、わたしはちょっと笑えなかった。ベルサイユ宮殿に急にあひるがでてきたら、驚くし、自分の存在すら滑稽に感じるだろうけど、香港の屋台で北京ダックが逃げ出して目の前を通りすぎても、ああひょっとしたらそういうこともあり得るのか。って思ってしまう。そういう惜しさ。映画という画面や視界が「切り替えられる」という旨味があるのだから、わざわざ、ひとつの画面で全部みせなくても、と想うことがしばしばあった(ケータイ電話を使うときなど)

ドタバタなんだけれど、旅館に家族風呂に社員旅行の団体客が割り当てられたような、落ち着きのなさ、が気になって、舞台でどこから舞台裏なのか。宿泊客の中には静かに年越しを迎える客もいたはずで、そういった対比だとか、肩透かしとかきかせてもらいたかった気がした。

製作年 : 2005年  日本 配給 : 東宝


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