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置き去りにしたもの 「女の子ものがたり」

女の子ものがたり表.jpg

西原理恵子 原作 「女の子ものがたり」

女の子はピンクとおしゃべりと花柄でできてる・・・わけではない。
でも、幸せでないことは、生きていけないことではない。

西原理恵子さんの絵は、明るい色だけれど、どこかさびしくぽつんとしてる。不安をかかえて空をみる。

わたしと同じ名前をもつ友人に「泣くよ~」と勧められて、公開から数年。
もうそんなに時間は過ぎたのか。とおもいながら、観た。

泣くかな、この映画とおもったんだけど。
帰郷した主人公に、友達の忘れ形見が微笑みながら呟く一言が、なんとも清らかに交じりっ気なしで、泣いてしまった。故郷に残した親友は、娘に主人公の名前をつけた。


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人気シリーズ 「ONE PIECE FILM Z」 [映画]

 「ONE PIECE FILM Z」

古代兵器に匹敵するダイナ岩が、ある男に奪われた。ネオ・海軍を名乗る男、元海軍大将「ゼット」。彼はダイナ岩を奪い、新世界を滅亡することにより、「ONE PIECE」を破壊し、大海賊時代を終わらせようとしていた。主人公ルフィは麦わら帽子を奪われ、それを奪回するためにも、海賊王になるためにも「ゼット」に挑む。


人気シリーズ 「ONE PIECE」の劇場版。原作者 尾田栄一郎氏が監修。そして人気脚本家 鈴木おさむ氏が参加。
まだ多くの活躍と謎を残したままの、未完の人気漫画「ONE PIECE」。
少年ジャンプに連載中の原作は「新世界」という新しいステージに登場人物たちが冒険の歩をはじめたばかり、それとは違った、「冒険」を何時間かの間にファンは観ることができる、というわけで、期待は高まるばかりです。シリーズ化されている映画という意味でも、現在進行形のマンガの番外編という意味でも、原作者やスタッフが、ファンが期待するもの、見せたいもの、忘れてはいけないもの。丁寧にとりくんでる感じがしました。
知らない人には、なんのこっちゃ、だとおもいますが


以下雑感。

絵がきれいということ、コスチュームのバリエーションの多さはみていて楽しい。敵方の威圧的な強さ。中立を装う元大将クザンの存在感の中で、やはりルフィたちのおちゃらけムードとの対比、戦闘シーン。キャラクター一人一人に見せ場があり、お約束ありで、短い時間帯におさめていくので、なかなか忙しいなあ、とおもいながらみておりました。戦闘シーンは正直、何が起こっているのかよくわからなかったです。

「モドモドの実」で小さくなった、ナミとチョッパーはかわいいんだけど、なくてもよかったのではないか?ともおもってしまいました。映画的に、「映画館でみてみたい」というのはあるとおもいますが。(実際かわいい)そのあたりも、映画館に来てね。という作り手の仕掛けとして、上手だなあ。と。とはいえ
話としては麦わら帽子を奪われた。それだけで、ルフィには敵にむかっていく動機があるなあともみてました

最後は主人公の主人公たる意思の強さでまとめており、かわいいキャラクターもみれて、戦闘のかっこいいところはみれて、ルフィの意思のかっこいいとこみれて、敵方も潔さもみれて、ちょっと酔えるようなとこもあって、お客さんのために、これでもか~とぶちこんでは削り、ぶちこんでは削りということをプロがやってるなあ。と気持ちのいい作品ではありました。

おまけに千巻”Z”というのをもらいました。

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未完ということ

先週栗本薫氏が亡くなったた
栗本薫といえばわたしにとっては「グイン・サーガ」。ついこのあいだも、最新刊を手に取り「おわりそうもないな」とおもっていた矢先の訃報。青天の霹靂といってよく、闘病中だったと知ったのも同時でした。
あまり熱心ではなかったけれど、「グインサーガ」の読者でした。一話完結のシリーズならいい。そうじゃないなら、最後まで書くのが読者への礼儀じゃないの? 栗本さん!悲しくてたまらない。
誰かが書き続けるかもしれない。そうなるだろう。 でも、俗っぽい展開にならないか心配で、栗本さんでなければならなかったと、おもう。早すぎました。

御冥福をお祈りします。
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しばらく

更新してませんでした

映画もみていました。本もすこおし。

ぼちぼち、更新していきます。
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年齢層アップのコバルト文庫

「まほろ駅前多田便利軒」 三浦しをん
東京のはずれに位置する“まほろ市”。この街の駅前で営まれる便利屋稼業。

この作家さんは初めて読みます。
お名前からして、痛いくらい若くてストイックなひとか、それか、お若くて自己陶酔型かどちらかだろうと勝手に想像していました。
TVドラマになりそうです。
挿し絵があり、この挿し絵で得をする場合もあるでしょうけれど、損をするようにも思う。挿し絵の画風が好きで、そういう男同士の“友情”を好む読者はいるでしょうけれど、挿し絵故に、登場人物のもつ泥くささの想像力が萎えてしまう場合もあると思う。

DNA鑑定という親子関係が出てくるが、少し安易な印象をうけた。DNA鑑定は刑事上のことがなければできなかったと、確か学生時代には認識していた。が、今はお金をだせばン万円で誰でもできるようで、その点の「流れ」が時代を感じさせるといえば感じさせる。親子をDNAで関係づける、のには意図があったろうけれど、ほんまは作者自体がそれに対してどう感じているのか、わたしには疑問だった。道具にみえたなあ。新しいといえばそうなんだけれど。それ以上の一歩踏み込みがわたしには感じられなかった。結局消すことで解決していたりするし。行天くんはいかにもワケありで、ほんとにワケありだし。なんというか、命が全体的に軽いなあ。と思う。エンタメ系だからかなあ。なんとはなく、年齢層があがったコバルト文庫と言う感じがする。

直木賞は本人のため、というより出版界の事情にみてきます


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無知ではあるのですが、感じるままに [つぶやき]

「未生流(庵家)いけばな展」
19世紀初頭に創流されたいけばなの未生流(庵家)の創流200年と第9代家元・佐伯一甫氏の家元継承50年を記念した「未生流(庵家)いけばな展」そごう心斎橋本店14階ギャラリー

正直、またもや初めて足を踏み入れる世界。
美しさをただ、求めるのではなく、世界観があり、生命の哲学がある上で、この花々は存在しているであろうことを想像した
芸術であろうけれど、会場の雰囲気をみると、社交場、にみえるのですね。花は美しいけれど、花自体が美しいし。でも、会場の空気と花が結びつかない。これはこれ、それはそれ。という区切りにみえる。逆に都会の中に小さな亜空間をつくっているようにも感じる。いいか悪いかわからないけれど、日本人は自然からは切り離せない民族であるように感じる。
ただ、会場の洋風の色の中に日本的な無言の調和をもちこまれても、何かしっくりしてない。なんなのか。何か照明か壁の色かの調整はなかったのだろうか。自然光を意識する、とか。
それでも、花々は力強かった。生命なのか、それとも作者の生命とは違うエネルギーなのか、ちょっと判断はつかないけれど、ちょっと普段は意識しない分興味をもった。


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日常の中で [美術]

人間国宝展
無形文化財」とは、芸能、工芸技術等の「わざ」そのものを指し、その「わざ」を高度に体得している個人または団体が体現する。そして、国はこの「わざ」のうち重要なものを「重要無形文化財」に指定および認定し、その継承の支援と保護を行う。
人間国宝は、重要無形文化財保持者として各個認定された人物である。

工芸品の数々。人形や陶器もあれば、刀、和紙、竹細工など多岐にわたる。
民芸品というのは、家の中にあり、使ってすり減らしていくものではなく、観光地のおみやげやで目の当たりするもの、という印象が残念ながらある。すぐれたデザインというのは、わたしは機能性を備えているべき、とわたしは考えているし、その形、技術には意味がある。日本の伝統技術の継承という意味で未来に技術が遺るのだろうかと、こういう展示会をみるたびに不安に思う。

VTR室でみた染織家さんの一人(佐々木さん?)が、織り上げる作業の際、手の一瞬の狂いが布をダメにするというコメントを流していた。メモをとっていなかったので、記憶でものを書く無礼を許していただきたいのだが、日常を丁寧に生きるという意味のことを興味深く語ってらした。呼吸を整え、心臓の鼓動を感じ、指先まで神経をゆきわたらせ、澄んだ状態で作品にとりかかる、という意味のことを言っておられた。素なのに、こちらの背筋がのびるようなさわやかで、とても、きれいな女性だった。豊かさとキビしさと、悲しみ怒り、喜び楽しみがきちんとこのひとの中に備わっていて、そうでなければ胸をうつ作品などできはしないのだ。とおもった。よくポジティブに生きるとかなんとかいうけれど、明るければいいのではなく、怒りや悲しみを感受できない作家なんて手にとる価値はない。太鼓をたたいて騒いでいるかのような騒々しい作品になるんじゃないかと、街を歩いていて思う。

あと、染織家の志村ふくみさんの作品が昔から好き。糸を染め、機を織る。このひとのきものには命が宿っている。生き物のようにゆらめいている。今回の展示しているのは好みではなかったけれど、このひとの世界はあこがれている。


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こころを作る


富本憲吉展 京都近代美術館
奈良県生駒郡安堵村出身の陶芸家。「模様より模様を造らず」
会場で、「安堵村ってどこだ?」と言う声がきこえた。今は生駒郡安堵町。法隆寺のある斑鳩町のとなりに位置する。だから、法隆寺や法輪寺など古寺をモチーフにしてもよさそうなのに、それとは逆の方向に歩いて、竹林月夜などを描いている。しかも初期の作品からずっとモチーフとして使い続けている。今ある風景の不確かさをとどめるかのようでもある。(その風景がのこっているか、今度確かめようとは思っている。)

多産。作陶していないときは、スケッチか文章をとどめている。止まっていない。
しかし、作り急ぐことはなく、弟子をとるにあたっても、「先へ先へ作るのではなく、まずこころをつくる」ということを示唆している。作品を作り始めた初期から、創作理念などは非常にはっきりしていたように感じる。

写真で、自作の湯飲みにお茶を入れている姿があったが、急須も湯飲みも自作のものだった。当たり前かもしれないけれど、豊かさに羨ましくなる。富本作品を使えることが羨ましいのではなく、自分の気に入ったものを土から選んでつくりあげ、それに茶の葉をいれ湯を注ぐことのふくらむ思い、それを感じられることの豊かさである。

作品だから、手に触れられないのはわかっているが、それでも、陶器は視覚だけでなく触覚で楽しめるものだと思う。きっと、ふたをする音、手にとったときの世界のひろがりとかを計算して作っていたのではないだろうか。と思った。
あと、デザイン的なものの変遷を重視した展示だったように感じられたが、内面がどのように思考し、作陶したのかも興味深かった。
9/10まで


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現在と過去と  「被爆のマリア」 田口ランディ [本]

夏は日本の中で、もっとも「戦争」が学ばれる時期だと感じる。が、「戦争」がどんなにコトバを紡いでいても、いまだに封印されていることがあること。そして、過去の「教科書」になりつつあるのを、また、とめられない。
最近、戦争モノが増えたように思う。が、韓流に対抗する悲劇モノとして扱ってる印象をもつ。正直観る気がしない。観てから言ったほうがいいとは思うが、メロドラマ仕立てにつくられたものよりも、現代との接点。無関心から関心へ。でもどこか冷めた手触りのあるこの短編集は正直であると思う。

日常の中の、戦争体験の投入は、平和の中の一種異物である。でも、異物から波紋というか、考えることをはじめることから考えると、わたしは大抵のメロドラマ仕立てのものよりも、入りやすいと感じる。今は、戦争体験を再現し、わかろうとするよりも 距離があるということを認識してから、間合いを詰めていく作品がもっとあっていいと思う。

この作家さんの登場人物は、空虚でありながらどろっとした感触がある。カナシイよりも名前のない憎しみを感じる。


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故郷の作家 [美術]

富本憲吉記念館
陶芸家富本憲吉氏の記念館。奈良県北葛城郡安堵町にある、富本憲吉氏の生家を記念館として手入れして,昭和49年(1974)に開館された。
カメラを忘れたので、違う機会にアップしますが、当時大地主だったという富本家にふさわしい、門構えです。私費でイギリス留学も果たしていますが、なるほど。と思います。
安堵町の資料館に車をとめて、西の路地に入っていきます。車が通れるほどの巾もなく、歩くしかないのですが、溝にはきれいな水が流れて、ざりがにでもいてそうな、懐かしい町並み。
氏は、よく大和の草木をスケッチし、それをデザインしておられますが、なるほど、朴であり、でも少し色気のあるそれらは、生活と密着した生々しさでもあったように思う。
帰り道もひょいと車で駐車場からでれば、自分が見慣れた風景に出くわし、この芸術家と自分は時こそ違うけれど、同じ風景をみてるのだ、と思うと感動します。わたしは、ものをつくるひとは美しい場所にいなければならないと思う。きちんと空がみえて雲がみえて、川が流れるところに。自由勝手な草木の生きる場所に。偏見かもしれませんが。そういう意味で自信をもちます。
わたしが行ったときは、大和時代と東京時代を中心に組んでいました。パネルのコトバを読むと、終戦を迎え。占領を受けやるせなさを感じます。なんとかして、自分の国を遺そうと、工芸にはげんだ姿も推測されます。あっさり、ハリウッド映画ばかりをありがたがる今の日本のあり方をちと考えたりしました。

敷地内に、工房があり、今は何曜日かに陶芸の教室があるようです。定員制なので誰もが受講できるわけではないですが、田圃の稲穂が風に揺れ、つくつくぼうしの鳴き声がきこえるこの場所でなら、陶芸したいなあ。とも思いました。
10/13金~16月まで、この工房の作家さん(生徒さん?)の作品展が同記念館であるそうです。

ただ、ちょっと残念だったのが、(予算の都合もあるのかもしれませんけれど)、館内が清潔できれいなのですが、庭が少し自由奔放に草が生えているのがちょっと気になりました。就学するこどもたちのために、机や椅子を自作し、生活を美しく。美しい食器で食すことを愛した作家が、草ぼうぼうの庭を好んだとはちょっと思えない。同じでないにしろ、手入れはもう少ししてほしい。どれが植えてあるので、どれが生えてきたのかちとわからんかった。

「先生が使っておられた」という離れは、もんんのすごい落ち着きます。しんとして凛としてる。そしてクーラーもないのですが、残暑の中も意外と涼しい。昔の家はいいです。
今週末は京都の国立近代美術館の「富本憲吉展」にまいります。生誕120年、ということはこの間みた藤田嗣治と同じということになります。今月はあちこち行くので、たのしみであります。


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